2013/10/07

涼州の暴れん坊、韓遂入門 2 馬騰編 高島俊男「三国志 きらめく群像」より

Batou

馬騰(ばとう)、字は寿成。

(? - 212年)

画像は光栄のファミコン版初代「三國志」より。
個人的にはこの顔グラフィックが好きです。 

アヒオ「ブログを見ているみんな!こんにちは!


今日は、前回の高島俊男「三国志 きらめく群像」の第六章「西方の暴れ者」より、韓遂の活躍した時代の涼州事情の続きだよ。今回は、韓遂が馬騰と組んでからのお話を紹介するね。



前回同様、三国志に興味がない人にはかなりどうでもいい話だから、がんばってついてこなくても大丈夫だよ」


ガチョオ「わかったわかった。大丈夫やから、はよ始めえや」


アヒオ「よしわかった。ここで改めて韓遂とともに涼州を暴れまわったもう一人の主人公、馬騰を紹介すると、馬騰(ばとう)、字は寿成。隴西郡の生まれで、父は漢人、母は羌人のハーフなんだ。


彼は生まれが貧しく、若い頃は山で木を切って、それを町に売りに行くようなことをしていたらしい。


でもその後、兵の募集に応じてそこで昇進して、187年に韓遂らが叛乱を起こすころには、涼州刺史の耿鄙(こうひ)配下の部隊長にまで出世していたんだ。


で、韓遂らが叛乱を起こして、馬騰の上司だった耿鄙(こうひ)殺した際、馬騰もこのどさくさにまぎれて叛乱を起こしたんだ。


馬騰と韓遂が組むのはこの辺りからになるね。


189年に韓遂たち叛乱軍が三輔(長安周辺)に入って、最初の城である陳倉の攻略に失敗すると、韓遂は、自ら担ぎ上げた総大将の王国(おうこく)を殺してしまう、ってところまでは前回お話したよね」


ガチョオ「189年といえば、光栄の三國志ではシナリオ1がスタートするから、印象深い重要な年やな。そのころ、西涼でもそんな激しい争いがあってんな」


アヒオ「そうそう。で、翌190年に反董卓連合軍が結成されるんだよね。


その後は、ガチョオ君も御存知の通り、董卓は洛陽から長安へと遷都を強行するんだけれど、その際、董卓は反董卓連合軍に対抗するため、西の実力者の馬騰、韓遂らを味方に引き入れようとする。


馬騰と韓遂の二人は、どうしたかっていうと、董卓の依頼に応じて長安に入ったんだ」


ガチョオ「西涼のやつらは董卓側についたんか!


そら知らんかったなあ。意外や。董卓なんかみんなに嫌われて孤立無援なのかとばかり思ってたわ」


アヒオ「まあ、韓遂たちもメリットさえあれば誰とでも手を組むからね。


その後、192年に董卓が殺され、朝権は李傕、郭汜らが握る時代になるんだけれど、194年に馬騰はその李傕との間がうまくいかなくなって、一悶着起こってしまうんだ。


そこで馬騰は韓遂と組んで、李傕達のいる長安を攻めようとしたんだけれど、彼らが当てにしていた長安内の反李傕の内応組がしくじって、長安の西にある長平観で敗れるんだ(長平観の戦い)。


そして翌195年、献帝は洛陽へ帰るために東へ行ってしまい、関中の辺りは権力の空白地帯になってしまうんだ。ちなみに関中っていうのは、函谷関と隴関(ろうかん)の内側のあたりの地域のことだよ。


ここまでに出てきた地名を地図でも確認してみよう。赤で囲んだところに注目してね。


長安周辺

 

で、敗れた馬騰と韓遂は、涼州へ帰るんだ。


二人は最初、兄弟の契りを結ぶほど仲が良かったんだけれど、やがて折り合いが悪くなったみたいで、この時期、お互い、相争いながら涼州でそれぞれ自分の勢力を広げていったんだ」


ガチョオ「共通の敵がいなくなったとたん、仲間割れするっていうよくあるパターンやな。


それにしてもこいつら、くっついたり、裏切ったり、ほんまに節操ないなあ」


アヒオ「そりゃあ、二人とも、利害関係でしか結びついていないんだからそうなるよ。


で、中原に目を移すと、196年に献帝を保護して、自分の根拠地の許(きょ)までつれてきた曹操は、天子を擁して覇者への道を一歩リード、というと聞こえは良いけれど、実際には、北に袁紹、東に呂布、南に張繍と群雄に囲まれていて、決して楽な状況ではなかった。


そこで、曹操は、せめて西側だけでも懐柔しておこうと、西の実力者、馬騰と韓遂の間を取り持って和解させて、形の上では曹操の支配を受け入れさせたんだ」


ガチョオ「今度は和解したんかいな!


なんか不思議な関係やな。そして、いよいよ曹操が主人公になる時代の幕開けなわけやな」


アヒオ「そう。その後、200年に曹操は官渡の戦いで袁紹に勝ったんだけれど、袁一族の力はまだ強く、袁紹の息子の袁尚は部下の郭援(かくえん)を河東太守に任命し、もう一人の部下の高幹(こうかん)や匈奴の南単于(なんぜんう)と連合して河東一帯での勢いが盛んだったんだ。


一方、これに対抗する曹操側は司隷校尉の鍾繇(しょうよう)


袁尚側の郭援(かくえん)曹操側の鍾繇(しょうよう)は、河東での争いを少しでも有利にするために、どちらも馬騰を味方につけようとしたんだけれど、結局馬騰は曹操側につくことにして、自分の代わりに息子の馬超を派遣した。


派遣された馬超はそこで大活躍をして、汾水(ふんすい)の戦いで郭援(かくえん)の首をとる大戦果をあげるんだ」


ガチョオ「へええ。袁紹と曹操の戦いにも馬騰は一枚噛んでいたのか。そら知らんかったな。


しかも馬超がこんなころから活躍しとったとはな。さすがやで」


アヒオ「あんまりなじみのない地名が出てきたんで、ここで、もう一度地図をおさえておこうか。


曹操と袁紹の争いは、こんな西の方でも起こっていたんだね。


河東


そしてこの地図を見れば、西涼は異民族の多く住む辺境の地とは言っても、中原に近いだけあって、この地の有力者である彼らの存在は、中央の群雄たちにとって無視できない存在だったのがわかるね」


ガチョオ「確かに、蜀や呉なんかより、中央に近い分、朝廷とかともからみやすいんやろうなあ


アヒオ「それからまた少し時間が進んで、時は曹操が荊州に侵攻を始める208年。


曹操は軍を南に進める際、例によって西涼の動向が心配だったので、馬騰を朝廷の衛尉の職につけて、彼を根拠地から離れさせようとする。そして馬騰もそれを受け入れる。これで都で役つきになった馬騰は、西涼の実力者を引退だ。


朝廷に職を得た馬騰は一族をつれて曹操が都をおいた鄴(ぎょう)へと移り、残った西涼の軍などは息子の馬超が引き継いだんだ。


で、我らが韓遂は、今度は馬超の相棒となったってわけ」


ガチョオ「208年っていったら、いよいよ年末には赤壁の戦いってところやな。


そんで、ここでようやく、馬超、韓遂タッグが結成されるんやな」


アヒオ「そう。そしていよいよ、みんなお馴染みの馬超、韓遂タッグ対曹操の直接対決、渭水の戦いが始まるんだ。

 

それじゃあ、続きは次回、いよいよ最終回だ」

 

ガチョオ「まだ続くんか!ひっぱるなあ」


三羽「それじゃあみんな、またね〜」


<関連過去記事>

<キャスト>

アヒオ・・・アヒル系男子。好きなチームはセレッソ大阪。最近のお気に入りはイナバのタイカレー缶(イエロー)。今年の目標は紅楼夢読破。
 

 アヒコ・・・アヒル系女子。真面目で好奇心旺盛な女の子。好きなスイーツは牛乳プリン。現在、ダイエットに挑戦中。

 

ガチョオ・・・ガチョウ系男子。好きなチームはJ2のガンバ大阪。


白鳥(しらとり)先生・・・スワン系アラサー女子。カモ文化学園の教師。独身。学園のマドンナ的存在で、密かに思いを寄せる男子生徒多数。好きな話題はシモネタ。好きな牛丼系チェーン店は松屋。 

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