2012/01/20

内田樹「増補版 街場の中国論」 3


前回の投稿につづいて内田樹「増補版 街場の中国論」 の第三回です。

前回同様、一部引用と要約、自分の感想とが混ざっていますのでご注意を。

内田樹「増補版 街場の中国論」
内田樹「増補版 街場の中国論

「Ⅱ 街場の中国論 講義篇」

ここから、最初の2007年に出た本編がはじまります。

第1講 チャイナ・リスク ー 誰が十三億人を統治できるのか

この講義では中国を統治することの「リスクの高さ」が日本と比べていかに大きいのかについて考察されています。

1,双子のナショナリストたち

(中国で日本の大使館や領事館に石をなげられたり、日本人が襲撃されたりする話を聞くと、生き生きとして中国を罵倒するような類の人を例にあげて)

ナショナリストというのは「自国の国益が損なわれることを喜ぶ」倒錯した傾向があるということは、これまでも折にふれて指摘してきましたけれど、これは興味深いメンタリティだと思います。

こういう日本人と反日中国人は「同じタイプ」の人間ですが、メディアにでてくるのはいつもこの手の人達。

国境の両側で熱くなっているナショナリストたちがもたらす災厄を先送りし、最小化するためにできる最良のことは、メディアにはでてこない「もう少し冷静になって長期的で安定的な外交関係を構築することを考えたほうがいいんじゃないの」と考えている両国の人達による「大人のネット」を構築すること。

2,3つのチャイナリスク

1,中国経済の失速
2,中国の中産階級の動きが読めない
3,中国政府のガバナンスがどこまで持つかわからない

中国のことをかんがえるときは、彼我の抱え込んでいるリスクのスケールの差を勘定に入れる必要がある。

第2講 中国の脱亜入欧 ー どうしてホワイトハウスは首相の靖国参拝を止めないのか?

今となっては少し懐かしい小泉首相の靖国参拝の時に、アメリカの言うことなら何でも聞く小泉首相に対してどうしてアメリカは参拝を止めなかったのか?

ここで内田樹は、日本と中国が不仲になることこそがアメリカの国益だからだとしています。

1,中国人の日本人嫌いの理由が、二重の意味での「脱亜入欧」

まず、日本は明治維新で「脱亜」つまり中国や朝鮮を後進国として低く見て、破壊した。
そして、現在、今度は中国が「脱亜入欧」する側にまわり、「脱亜」とはつまり日本を競争相手とするのをやめることであり、「入欧」してじかに欧米と付き合える名実ともに「アジアの盟主」たらんとする野心を持っている。

2,農村の崩壊、それがチャイナリスクのナンバーワンではないか。

中国史ではだいたい同じようなサイクルで王朝交代が起きる。
農村が疲弊→農民が流民化→それが各地で反乱をおこして王朝が滅びる。

3,易姓革命のある中国と、政体が変わらない日本

中国では、ある王朝は天命によって統治されているので、天命がつきれば次の王に王位を譲らなければならない。易姓革命の結果として王朝交代した中華人民共和国は「天命」を受けた政体としてみなすことができる。

日本は幻想的には開闢以来ずっと同じ政体のまま。

日本が今の政体に正当性があると信じたければ、この政体を押しつけた「天」であるところのアメリカの世界戦略の歴史的正当性にも全幅の同意を示さねばならない。だから日本では国粋主義者が親米であるという倒錯が起きる。

アングロ・サクソンの植民地統治の基本は「分断」。

東アジア諸国の利害が対立して、調停が必要になるたびに「アメリカの介入」が要請されるという今のスタイルがアメリカにとってベストの東アジア支配形態。アメリカにとって、EUのように東アジアに「儒教圏」ができるのは困る。

第3講 中華思想 ー ナショナリズムではない自民族中心主義

ここでは中華思想についてです。ナショナリズムと違うという点が重要です。

国境線のあっちとこっちでは、言語も人種も信教も習俗も全てが違うというフィクション。このフィクションが国際規格に採用されたのは1648年のウエストファリア条約。

それに比べると中華思想は三千年の歴史がある。その中華思想をヨーロッパの民族誌的奇習である国民国家ナショナリズムの枠内に収めて考察しようとするところに無理がある。

中華思想は国境線という概念がそもそも無い。天下全てが中国を中心にひとつの調和した小宇宙。

鄧小平の「先富論」は「華夷秩序」の国内ヴァージョン?
「先に豊かになったところ」が中心、「あとから豊かになるところ」が周縁。

第4講 もしもアヘン戦争がなかったなら ー 日中の近代化比較

日本の明治維新後の成功は、明治政府の中央集権化によって、効率よく西洋にキャッチアップしたのが原因であるというのが一般的な説ですが、内田樹はこれとは逆に、江戸時代の幕藩体制という地方分権システムが、その後につながる人材の育成に効果的であったということと、それに反して中国では清朝の強力な中央集権体制が仇となって、その後のさんざんな近代史をむかえることになる、という説は、新鮮でおもしろかったです。

日本の近代化が成功した最大の理由は、藩閥体制で日本に二百七十個の藩があったこと、つまり、二百七十の小国が分立していたこと。これによってリスクヘッジシステムが成立していた。

逆に中国は強大な中央集権体制であった。

同心円的、中央集権的な「ツリー」状組織は「予測できる範囲の危機」(リスク)には効率的に対応できるが、「予測できない種類の危機」(デインジャー)には脆い。

離散的・分権的でゆるやかにつながっている「リゾーム」状組織は、ルーティン的処理では効率が悪いけれど、リスク・ヘッジという点ですぐれている。

十九世紀末の列強の進出してくる東アジアという特殊な状況では、日本的システムのほうが中国的システムより効率的に動いた。

日本は「和魂洋才」、中国は「中体西用」。一見似ているようで、実は違う。「中体西用」の中心はあくまで中国。「西洋の技術を用いれば、西洋の文明ではできないことが中国人にはできる」。

これでは外部評価と自己評価の間の悲劇的な乖離が修正できない。

第5講 文化大革命 ー 無責任な言説を思い出す

毛沢東といえば、中国では今のところ公式には「いいことを7割、悪いことを3割」したという評価になっています。

確かに国を救った英雄という側面を考えればわからないでもないのですが、大躍進政策と文化大革命という2つの大失策は、その悲惨さを知れば知るほど、とても3割ですむようなものではない国家的犯罪だと思うのですが、ここでは、それでも毛沢東を表立って批判しにくいその事情についてです。

この第5講で興味深かったのは、文化大革命そのもの以上に、当時の日本のマスコミや文化人、特にリベラル系メディアがおおむね文化大革命に好意的な論調だったというところです。

私の父も当時のことを振り返り、「新聞の説明を見て、文化を革命するのだから当然、素晴らしいことが中国でおこなわれているに違いないと思っていた」といっていました。

ネットがなかった時代とはいえ、そして冷戦時代の社会主義国の出来事だったとはいえ、戦後もなお、隣の国のそのような大きな出来事をわからないと伝えるならまだしも、主張したいイデオロギーに都合の良いようにしか報道できなかったメディアの怖さを再認識しました。

中国人のトラウマ

中国の場合、近代史百年を振り返って、「あのときはこれでうまくいった」という経験がほとんどない。

1980年代以降の改革開放路線の成功を除くと、1937年の抗日統一戦線の結成から1949年の中華人民共和国の建国を経て、朝鮮戦争に勝利する1955年までの期間、言い換えると毛沢東に率いられて、日本と戦い、国民党と戦い、アメリカと戦った時期。

毛沢東を抜きにした成功体験というものを中国近現代史は持っていないので、中国人はこれからも毛沢東をラディカルに批判できない。

中国人が一丸になったという点では、抗日統一戦線の結成の記憶に勝るものを中国人は持っていないので、国論の統一をめざすとき、そこに回帰するのはある意味では当然。


以上、今日は第5講まで紹介して終わります。つづきます。

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