2011/05/16

加藤徹「貝と羊の中国人」2



前日の加藤徹「貝と羊の中国人」の紹介の続きです。

第四章
人口から見た中国史

過去の歴史から学んで、人口増加を抑制し、破局の回避に成功した王朝は、一つもなかった。

中華帝国の人口規模の限界は長い間「戸籍登録人口六千万、実人口約一億」だった。
人口がこのラインに近づくと、農業生産が人口を養いきれなくなって、社会不安が起こる。
混乱と人口崩壊の中で、王朝は滅亡する。このパターンは紀元一世紀初めの前漢末から17世紀半ばの清の初めまで何度も繰り返された。
17世紀までこの壁を突破できなかった。

中国文明は、いつの時代も、人口と食料、資源が、ギリギリのバランスを保っていた。
政治の力で社会全体を上手にコントロールしないと、たちまち飢饉や戦争などの人災が発生した。必然的に「政治的文明」になった(儒教やマルクス主義は、政治の力で社会を救済しようとする)

第五章
ヒーローと社会階級

中国の黒幕は「士大夫(中間支配階級の誇り高い自称)」

士大夫が黒幕になれたのは儒教のおかげ。
儒教の本質は「士大夫の、士大夫による、士大夫のための教養体系」
中国社会において、儒教は初め、皇帝が天下を治めるための方便だった。
しかし時代が下るにつれ、状況が変わり、士大夫層が儒教の力を利用し、中国文明の事実上の支配者になっていった。

中国史は、一言でいえば、士大夫という階層が文明を乗っ取る過程の歴史。

第六章
地政学から見た中国史

中国でもヨーロッパでも、古来どの文明圏でも質実剛健な北方人は政治と軍事にすぐれ、才気煥発な南方人は文化と経済にすぐれる傾向がある。北と南の漢民族の遺伝的距離の遠さは、日本人と韓国人の遺伝的距離をはるかにしのぐ。

現代日本人の領土意識は、大正期や昭和期を飛ばして、日清戦争以前の明治が基準になっている。現代中国人の領土意識も日本人と似ていて中華民国を飛ばして清朝が基準になっている(だから台湾やチベット、新疆、モンゴルなどを中国固有の領土と信じて疑わない)。

第七章
黄帝と神武天皇

江戸時代後期、ナショナリズムの高まりによって神武天皇は日本民族統合の象徴として「再発見」された。日本に渡った清国留学生たちは日本人の影響を受けて、中国的ナショナリズムに目覚め、中国版神武天皇「黄帝」を再発見した。

富永仲基「加上説」
後発の学派ほど、自説を権威づけるために開祖を古い時代に求める傾向がある。
日本人はキリスト紀元より古い「皇紀」(ヤマト民族2600年)
中国人はより古い「黄紀」(漢民族4000年)
韓国人はさらに古い「檀紀」(朝鮮民族5000年)

日本人と中国人は、互いに敵として戦った経験ばかりで、共闘体験は皆無に近い。

終章
中国社会の多面性

日本人と中国人の類似性

中国人に対する外国人の不満や批判は、多くの場合、日本人に対するそれと一致する。
日本人が「日本的」だと思っている倫理観(義理、人情、信義、親孝行)の多くも中国人と似ている。なぜなら日本人が日本人らしくなったのは江戸時代に漢文の素養を身につけたせいだから。

現代中国社会を理解するための補助線として、昭和初期の日本社会を思い出すのが有効。
都市と農村の生活格差、国民の愛国心は強いが、外国へ渡航するものも多かった、軍部が強い発言権をもつ、言論の自由はあったが、言論後の自由はなかった。

中国の民衆は、馬鹿でない。テレビや新聞のニュースが、党や政府によってコントロールされていること、当局が公表する統計がみな「大本営発表」であることもよく知っているが、口にしないだけ。党も人民を信用していない。したがって中国社会では上も下もホンネとタテマエを極端に使い分ける。

中国人も一枚岩ではない。
反日デモも、反日を口実にしてデモを行い、国際問題にすることで中国共産党を困らせてやりたい、という隠れた動機で集まった若者も実はかなり混じっている。

以上、あまりにも興味深い内容が多いので、まとめるのをやめて主なところを抜き出して紹介してみましたが、これでも大分、面白い部分を端折っています。これを読んで面白そうだと思った方はご一読をお勧めします。

0 件のコメント:

コメントを投稿